Miyabi Lifestyle Blog

M.P.C ~it's not fan to be life. ~

why? Japanese people?!

みなさんは「世界最貧国」の定義をご存知でしょうか?

これはお金があるかどうか、つまり経済的に、物質的な豊かさで評価された表現です。

しかし、この表現には、その国の人々がいかに心豊かで、信頼関係には恵まれているかについては考慮されていません。


なぜ日本人は「幸せな時間」を増やす事ができないのか?

かつての日本と同じ様に急激な経済発展を遂げている中国でも、どこの公園に行っても昼間には、おじいちゃんとおばあちゃんが孫を連れて公園に集まり、二胡を弾きながら歌ったり踊ったりしていました。
ベトナムでも、ミャンマーでも、ネパールでも、グルジアでも、エチオピアでも、ケニアでも、エクアドルでも、ペルーでも同じです。

なぜ日本は、経済的に豊かな国にもかかわらず、家族や友人を大切にする「幸せな時間」を増やす事ができないのでしょうか?
僕が世界各国で出会ってきた「幸せな人々」と営業マン時代に出会ってきた「不幸せな人々」。両者の間で決定的に違う事は、やはり「お金を稼げば、とりあえず幸せになれる」という観念が存在しているか、していないかということではないかと思います。

お金への価値は働く目的と直結している

お金への価値観は働く目的と直結しています。そして日本人はこれまで「エコノミックアニマル」と比喩されるほど、仕事に身を捧げてきました。
なぜ、僕たちはこれほどまでに「働くこと(お金を稼ぐこと)」に絶対的な忠誠心を持っているのでしょうか。

複数の要因があり、1つには、仏教的な世界観の影響も大きいと思いますが、僕が実感したのは、日本という特色ある風土だからこそ育まれた、特殊な「個人と社会」の関係です。

日本は古来、山と森、雨と陽の光などに恵まれ、稲作を中心に生活をしてきました。
一方で日本ほど台風や地震、火山噴火など天才の多い土地はありませんでした。
生きているうちに何度も天災に見舞われる日本の人々は、自分一人の力で生きていくことが難しかったのです。かと言って島国ですから、他の土地に移動することも難しい。
そこで、世界の他の文化圏以上に、村単位の地域コミュニティと密接に関わり、協力し合う必要が迫られたのです。
その様な社会では、働くことを通じて自分の地域に貢献する事がとても重要になります。隣の家を建てる時、田植を行う時は村みんなで協力する。
逆にその様な村への貢献を行わない人々に対しては、社会はとても辛辣でした。「村八分」などの言葉の裏にはそのような厳しさが潜んでいます。
そういった背景が、「働く」という行為を絶対的なものにしました。
働く上で、勤勉さ、協調性といった姿勢が歓迎されるのも、そのような感覚が今なお日本人の価値観に強く残っているからだと思います。

日本人が勤勉に働き続ける理由

しかし、近代に入り、科学技術が進歩したおかげで、人々は無理に協力しなくても生活ができるようになりました。
すると、今度は煩わしい地域コミュニティから離れることが出来るようになります。もっと個人として、自由気ままに生きようとする人々が増える。その人たちにとって、自由を手にするために必要なものこと、お金だったのです。

例えば、長野などの雪国では、雪かきを町会単位で行っており、住民はそれに強制的に参加しなければなりません。もし、参加しない場合は「出不足金」と呼ばれるお金を払わなければなりません。

このように、物質的な豊かさはもちろん、自由気ままな生活をたに入れる為に、お金なくてはならないものでした。このような経緯が影響し、現在にまでに続く、周囲の顔色を伺って有給休暇も取らないような、「働くこと」へのユニークな忠誠心をもたらすとともに、自由になるためのお金を稼ぐことへの強い欲求をもたらしているのだと思います。

稼ぐお金は同じなのに、働く時間は1.5倍

経済開発機構(OECD)が調べた有償労働時間(サービス残業などの無償労働時間を除いた労働時間)のデータによると、デンマークの有償労働は1日3.75時間で世界で最も短いようです。
有償と無償を合計した1日の平均労働時間でも、ベルギーに次ぎ、世界第2位。
一方、日本はというと、有償労働時間は6.3時間と世界最長。1日の平均労働時間でも世界で二番目に長いという結果となっています。もちろんお金を稼ぐ為に働くことは決して悪いことではありません。
ただ、勿体無いのは、「お金があれば幸せになれる」と盲目的に信じて、稼ぐためだけに働き続けることです。

更に、日本人が、お金に対して盲目的になってしまった原因。
それは、1945年にあるかもしれません。
戦争に負け、全てを失った日本人は、がむしゃらに働き、劇的な復興を遂げ、経済大国としての地位を確立しました。
結果、生活は確かに豊かになり、その富の蓄積の上に現代の僕たちの暮らしがあります。

しかしわその劇的な復興の代償として、本来は、人々が幸せに生きるための便利な「道具」でしかなかったお金が、人々が働き、生きる「目的」にすり替わってしまいました。

一生懸命働いて、とにかくお金さえ手にすれば幸せになれると、お金を絶対の存在として盲目に信じるようになってしまったのではないでしょうか。

f:id:masaharu-nagan:20160226050700j:image

お金を「目的」にして振り回される人お金を「道具」として使いこなす人

バングラディシュやデンマークの経験から、僕は「幸せなお金持ち」「お金を持っているのに不幸な人」「お金がないのに幸せな人」「お金がなくて不幸な人」この4種類に人々を分ける要因を見つけることができました。
それは、お金を「目的」と捉えるのか「道具」として捉えるのかの違いです。

お金を「目的」として捉えている人たちは、次のような考え方を持っています。
お金がないと幸せになれない。お金があれば幸せになれる。お金とは、自不満の働く時間と交換してえれるもの。サービスや製品の対価として支払うお金はなるべく少ないほうがいい。
しかし、一方で無意識的には、お金を面倒くさいものとか、ありすぎると不幸になるものと考えたりします。

これは、お金自体の価値とパワーを盲目に信じ切って、それが「道具」であることを見落としています。なので、それを手に入れることが「幸せ」につながるという考えを持っています。つまり、お金そのものを生きる「目的」とする考えです。なのにどこかでお金自体を汚いものして捉えている。
そう、僕たち日本人にはこのようなネガティヴお金観を持つ人が多いのです。

一方お金を「道具」として捉えている人は、次のような考え方を持っています。
お金とは、本質的には無価値だが、人間が発明した偉大なる「信頼の媒介物」である。
最も大切なことは、人と人との信頼関係そのものを醸成していくこと。お金とは自らが生み出した付加価値の対価として受け取るもの。
お金を支払うということは、その相手に自らの信頼を渡すということ。
だから、必ずしも安ければいいというわけではない。

お金を他者との信頼関係を築き、その信頼を交換し合い、自らの理想を実現させるためのポジティブな「道具」として捉えてる人は、保有するお金の量に関わらず、幸せな人生を送っています。

反対に、お金を「目的」として捉える人たちは、人間関係に問題「抱えていたり、どこか心の貧しさを負って生きています。なので、時に他者を傷つけ、奪ってでもお金をにしようとします。

僕はその事実を目の当たりにし続けてきました。


ネガティヴお金観による負のスパイラル

お金とは、「信頼の媒介物」です。信頼がなければここの豊かな生活は手に入りません。にもかかわらず、お金を手に入れる自体が目的になるネガお金観を持ってしまうと、負のスパイラルに陥ってしまいます。
必要なのは信頼関係を築くどころか、信頼そのものを損なってしまう。結果として、お金も手に入らないという悪循環に陥りがちです。

働く目的を変えることが、幸せなお金持ちへの近道になる。

f:id:masaharu-nagan:20160226050635j:image

bye!!